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ベルリンを脱出したゲーリングは4月23日

ベルリンを脱出したゲーリングは4月23日、連合軍と交渉すべく、ヒトラーに対し国家の指導権を要求する。マルティン・ボルマンにそそのかされたヒトラーは激怒し、ゲーリング逮捕を命令するが果たされなかった。4月28日にはヒムラーが、スウェーデンのベルナドッテ伯爵を通じ、連合軍と休戦交渉を試みているニュースがヒトラーのもとに届く。彼はヒムラーの官職の一切を剥奪する。 一方、開戦前からのヒトラーの盟友、(イタリア降伏後はドイツの傀儡状態となっていた)ムッソリーニは逃亡中、スイス国境のコモ湖付近の村でパルチザンに捕えられた。4月28日、愛人のクラレッタ・ペタッチと共に射殺され、その死体はミラノ中心部の広場で逆さ吊りで晒された。

盟友ムッソリーニが無残にも処刑され、長年共にいた側近の多くが降伏もしくは国内外に逃亡し、追い詰められたヒトラーは、自分の死体を見世物にされたり、宿敵スターリンの手に渡ることを恐れ、4月30日15時30分頃、ベルリンの地下壕内で、前日結婚したエヴァ・ブラウンと共にピストル自殺(毒薬を飲んでとの説もある)。死体は遺言に沿って焼却された。ヒトラーは遺言で大統領兼国防軍総司令官にデーニッツ海軍元帥を、首相にヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相を、ナチス党首および遺言執行人にマルティン・ボルマン党総務局長を指定していたが、ゲッベルスもヒトラーの後を追い5月1日、妻と6人の子供を道連れに自殺した。

連合軍がドイツ国内、オーストリアへ進撃するにつれ、ダッハウ、ザクセンハウゼン、ブーフェンヴァルト、ベルゲンベルゼン、フロッセンビュルク、マウトハウゼンなど、各地の強制収容所が次々に解放され、収容者とおびただしい数の死体が発見された。ユダヤ人絶滅計画をはじめ、ナチスの恐怖政治、ホロコーストの実行過程が明るみに出された。

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5月2日、首都ベルリン市はソ連軍に占領された。そのときベルリンの女性の多くがソ連兵に強姦された。ある医師の推定では、ベルリンでレイプされた10万の女性のうち、その後死亡した人が1万前後、その多くは自殺だった(「ベルリン陥落1945」アントニー・ビーヴァー著白水杜)。また東プロイセン、ポンメルン、シュレージェンでの被害者140万人の死亡率は、さらに高かったと推定される。全体で少なくとも200万のドイツ人女性がレイプされ、繰り返し被害を受けた人もかなりの数に上ると推定される(同上より)。ドイツ以外でも、ソ連軍は侵攻したポーランド、ユーゴスラビア、オーストリア、ハンガリーでも大規模な暴虐・略奪行為を行い、スイス公使館の報告によると、ハンガリー女性の半数以上が強姦されたという 。

5月7日、ドイツのほとんどが連合軍に占領され、もはやドイツ軍の兵力も指揮系統も破綻し、ヒトラーの遺言に基づき、彼の跡を継いで指導者となったデーニッツ海軍元帥がソ連を除く連合国に無条件降伏し、アルフレート・ヨードル上級大将がアイゼンハウアーの司令部に赴き、デーニッツ政府代表として降伏文書に署名した。翌5月8日にはソ連に対しても無条件降伏し、同日ベルリン市内のカールスホルスト(Karlshorst) の工兵学校におけるソ連軍に対する降伏式で陸軍代表ヴィルヘルム・カイテル元帥、海軍代表ハンス=ゲオルク・フォン・フリーデブルク提督、空軍代表ハンス=ユルゲン・シュトゥムプフ (Hans-Jürgen Stumpff)上級大将 による降伏文書への調印がなされ、ここに1939年9月1日から始まった、ヨーロッパでの戦争は終結した。

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2009年06月25日 01:18に投稿されたエントリーのページです。

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